ご挨拶

菊地信一牧師

牧師の菊地信一と申します。1974年福島県相馬市で生まれ育ちました。実家が漁師でしたが、それを継ぐのが嫌だった為、18歳で横須賀海上自衛隊に入隊しました。

その時、上司がクリスチャンでその方の出会いによっていろいろ(省略)ありましたが、洗礼を23歳の時に受けました。

学生の頃はヤンキーで自衛隊では自衛隊ヤクザと呼ばれていました。クリスチャンになって牧師の夢が神様から与えられ、その道を歩みます。JTJ宣教神学校 牧師志願科を卒業して現在に至ります。牧師のかたわら重度訪問介護士をしています。家族構成は妻、娘1人。

私が教会に行くようになったキッカケ

証し

「トラブルメーカーからピースメーカーに変えたイエスキリスト」

菊地信一

私の人生を振り返ると、イエスキリストに出会う前はトラブルメーカーでした。幼稚園時代は女の子とばかり遊んで、先生に怒られてばかりいました。 小学生時代には親分となり人々を弟子となし、支配していました。

いつも女の先生を泣かせてばかりいました。先生ばかりではなく女生徒にもいじめをして不登校にさせてしまいました。

先日,久しぶりに地元で同窓会がありました。そこに私がいじめて不登校させてしまったいづみちゃんがいました。すでにイエスキリストを信じていた私は即座に彼女のところに行って、謝りました。「いづみちゃん、小学2年生の時、いじめてごめんね」彼女は即座に怒って「あのとき信ちゃんからいじめられて、学校行けなくなったんだからね。トラウマだよ」と。私はひたすら謝り続けました。彼女は赦してくれました。本当に嬉しかったです。

中学に入りタバコを覚え、バイクを覚え、盗みを覚え、学校の先生をいつも困らせてばかりいました。高校に入り、悪い事もどんどんエスカレートしていき、女性関係も乱れ、勉強もしないで、パチンコざんまいでした。そんな私が就職出来る先は決まっていました。自衛隊です。しかも海上自衛隊。横須賀海上自衛隊に入隊し、最初に行くのが教育隊です。

そこで徹底して体づくり、教育、協調性などを学びます。自衛隊だからまじめな者ばかりではありません。ほとんどが、ヤンキーか暴走族あがりの強者たちでした。わたしはそこの強者たちから目を付けられました。班長からもいつも目を付けられ問題ばかり起こしていました。教育隊が終わり、部隊へと配属されます。

私は海洋観測艦「すま」に配属されました。乗員50人位の小さい船でした。そこでも私はしたい放題、やりたい放題、最後には上司をぶん殴って、船を降ろされました。前代未聞です。そして陸勤務になりました。

その陸勤務の上司が私をやたら認めて褒めてくれました。私の人生でこんなにも認められて褒められたのは生まれて初めての経験でした。私は次第にこの上司に心を赦すようになり、いつも一緒にいました。ある日曜日に仕事が入り、そこで上司に焼肉でも食べに行かないかと誘われ、行きました。行った先がなんと教会でした。

私は騙されたと思い、あの独り言を話しているかのようなお祈り、教会の空気、私に対する歓迎ムード、どれをとっても違和感がありました。上司に文句を言い、2度と教会に行くもんかと思いました。そして、私は広島県の江田島第一術科学校に行きました。そこは海軍からの伝統学校で日本一厳しい学校でした。私は海上自衛隊でブラックリストに載っていたので、班長から、分隊長から最初から目を付けれらていました。何か悪いことをすると外出止めを食らっていました。

一番長い外出止めは半年でした。気が狂いそうになりました。そこでわたしは脱走を図りました。久しぶりの外の空気です。キャバクラ、クラブなど、はしごして、酔っぱらって、呉の愚連隊とけんかになりボロボロになって帰ってきました。歩きながら帰ると十字架が見えました。私はその十字架に吸い込まれるかのように、あんなに嫌いだった教会にはいっていきました。

そこには、じいさんとばあさんと牧師がいました。私がはいっていくと一気に歓迎ムードになり、週報を渡されると、そこにはなんと、菊地信一兄弟が救われますようにと、書いてありました。びっくりしました。牧師から話を聞くと前の上司がこの牧師と知り合いで、私が救われるように祈ってほしいと要請したようです。

人生で2回目の礼拝をしました。そこでの讃美歌でいつくしみ深きを歌っていました。聞いたメロディーでなつかしさが込み上げてきました。そこの歌詞にイエス様が友達なんだと書いていました。イエスキリストが私の友達?ぴんと来なかったですが。私は勝手にイエスキリストを友達にして認めて、何でも話すようになりました。イエスキリストが私の大親友になり、私はいつも、いつくしみ深きを口ずさんでいました。

それから私の人生は180度変えられました。イエスキリストを信じる前は自衛隊を辞めて、ヤクザになろうかホストになろうか板前になろうか迷っていました。しかしイエスキリストの大親友が私の罪のため十字架で代わりに罪を償って死んでくださった事,友が私にいのちを与えるために死んでくれた愛を感じて涙を流している自分がいました。

わたしはこのお方のために生きよう、このお方の愛を伝えようと思いました。そしてわたしが選んだ職業は牧師でした。私自身も考えもつかない職業でした。トラブルメーカーだった私がイエスキリストの愛に打たれ、ピースメーカーになりました。ヤクザの息子、暴走族、ヤンキー、不登校、問題児ばかりが、いつの間にか私の所に集まってきました。

彼らも彼女らもイエスキリストの十字架の愛に打たれ、ピースメーカーに変わりました。 あなたもこの友なるイエスキリストを信じ受け入れるならば、あなたの人生は一変します。失敗と思われる事でも+に変えてくださいます。この方を信じ受け入れるならば、素晴らしい人生の御計画があなたを待っています。